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◆シャトーの概要◆
モンブスケは1993年、シャトー・パヴィを所有するジェラール・ペルスがオーナーとなり、
一夜にしてスーパー・サンテミリオンに変身した有名なワインで、サンテミリオンの中でも最も凝縮感があるワインの1つだ。
2006年の格付けでは遂にサンテミリオン・グラン・クリュ・クラッセに昇格した。
セラーマスターは、ミシェル・ロランの元で6年間勤務していたジャン・フィリップ・ラヴォトゥール、コンサルはミシェル・ロラン。
2012年にCARMF(退職者医療自治金庫)に株を売却したものの、現在もジェラール・ペルスが舵を取っている。
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◆シャトーの歴史◆
現在の研究によると、シャトー・モンブスケの起源は1540年にまで遡るという。1682年、モンブスケはアンリ・ド・ジェールの所有となり、
1684年にはサンテミリオンの丘陵から500メートル程に位置する邸宅に改築された。その後、何世紀にもわたって所有者が交代する長い歴史が始まった。
1682年から1826年にかけて、名高いド・カルル家によりドメーヌは驚くべき発展を遂げ、モンブスケは素晴らしい遺産と歴史を築き上げた。
1779年、ド・カルル将軍が相続すると、彼は母屋を建造させ、モンブスケは現在の姿になった。畑はまだ比較的小さかったが、その生産量で有名だった。
1795年、ド・カルル将軍はマリー=ロザリー・ヴァシェと結婚。1826年、シャトー・ド・サルの半分と引き換えに、モンブスケを義姉の
マリー・ガブリエル・ドザイグに売却した。
19世紀後半、ヴァッサル・モンヴィエル伯爵が1858年から1877年にかけて、
インスピレーション豊かな指導を行い、ドメーヌは繁栄し大きな名声を得た。そして、サンテミリオン地区で最大級の面積を誇る現在の畑にまで拡大し、
生産性の最適化に着手した。コックスとフェレが1865年に出版した本には、「今日、32ヘクタールのブドウ畑は、最善の注意を払って栽培されており、
モンブスケのブドウ畑はサンテミリオン地方で最も大きな畑の一つであり、その繊細さとフィネス、ブーケで注目に値するワインを生産している」と記されている。
モンブスケはサンテミリオンのワインの中でも他と一線を画し、ワイン業界で非常に高い評価を得るようになった。しかし1877年、
ヴァッサル・モンヴィエル伯爵は、借金を返済することが困難になり、城を抵当に入れた。オークションではベランジェ氏によって落札された。
『コックス・エ・フェレ』第7版には、モンブスケが「クリュ・ブルジョワ」として掲載されている。ベランジェ氏は75樽を生産した。19世紀には
名門だったモンブスケも、20世紀初頭にはその名声を失い、その間に様々な所有者が後を継いできた。
第二次世界大戦が終わり、1945年にケール家がオーナーとなってから、ドメーヌは徐々にその数十年前のイメージを取り戻していった。
ヴィニュロンで醸造家でもあったダニエル・ケールは、30年かけてブドウ畑の再建に取り組み、相続した息子も1992 年まで彼の仕事を永続させた。
1993年、シャンタルとジェラール・ペルスが、歴史に彩られたこのドメーヌを引き継いだ。モンブスケの生産が本格的に質的な飛躍を遂げたのはこの時期である。
ジェラール・ペルスがモンブスケを所有してからの数ヶ月間で、生産工程は完全に見直され、ブドウ畑(完全に再編成され、水はけが改善された)とセラーの両方で、
偉大なワインを造るために必要な最新の設備と熟成庫の創設が行われた。また、サンテミリオンで初めて白ワインのブドウの木を植えたのもジェラール・ペルスだ。
こうした努力はすぐに実を結び、モンブスケは2006年にグラン・クリュ・クラッセに昇格した。それまでサンテミリオンの偉大なワインの中で非常に名誉ある
存在であったこの畑は、新しいオーナーの指揮の下、数年のうちにアペラシオンのフラッグシップアイテムの一つとなり、ロバート・パーカーに
「ジェラール・ペルセの指揮下で生産されるモンブスケはどれも特別だ」と言わしめるようになった。現在は、サンテミリオンの中で最もエキゾチックで
官能的なワインと言えるだろう。2012年にCARMF(退職者医療自治金庫)に株を売却したものの、現在もジェラール・ペルスが舵を取っている。
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◆各キュヴェの詳細◆
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Chateau Monbousquet, AOC St-Emillion Grand Cru, Rouge/シャトー・モンブスケ 赤 (サンテミリオン・グラン・クリュ)
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Angelique de Monbousquet, AOC St-Emillion Grand Cru, Rouge/アンジェリック・ド・モンブスケ 赤 (サンテミリオン・グラン・クリュ)
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