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◆概要◆
2007年にユネスコの世界遺産に登録された、スイスのヴォー州ローザンヌからモントルー郊外のシヨン城にかけて広がる、レマン湖北岸の丘陵地帯、ラヴォー地区。ドメーヌが位置するのは、そのラヴォー地区にあるエペス村の、テラス状に広がるブドウ段々畑の中央だ。現当主ブレーズ・デュブーBlaise Dubouxは、ドメーヌ17代目の当主であり、ドメーヌには5世紀にも亘る家族の歴史がある。彼は、ラヴォー地区の険しい斜面のブドウ畑でビオディナミ農法を実践している数少ない生産者の1人。それまでの当主同様、土地を耕し、ブドウ畑をしっかりと管理し、土壌を豊かにすることで、持続可能な農業を心掛け、ドメーヌに根付く文化を永続させようとしている。そこで造られるワインを飲めば、テロワールが優雅であること、そして本物であることが分かる。
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◆ドメーヌの歴史◆
約5世紀前にラヴォー地区エペス村で始まったドメーヌの歴史は、同時に家族にまつわる素晴らしい歴史でもある。各世代は、その時代の技法や技術を用いて農法や醸造技術を築き上げ、発展させてきた。あるいは土地を拡張させていて、今ではドメーヌは5ヘクタールのブドウ畑を所有している。
ドメーヌは5ヘクタールのブドウ畑を所有し、8種類の異なる品種を栽培している。ドメーヌの主要品種であるシャスラには、5つのキュヴェがある。デザレーDezaleyが2つ、カラマンCalaminが1つ、エペスEpessesが1つ、そしてヴィレットVilletteが1つ。シャスラの他に栽培されている品種は、白ワイン用のシャルドネとマルサネである。赤ワイン用には、プラン・ロベPlant Robez(歴史あるラヴォー地区の品種)、ピノ・ノワール、シラー、メルロー、カベルネ・フラン、そしてディヴィコがある。
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◆ドメーヌのロゴ◆
ドメーヌ・ブレーズ・デュブーは、三日月のような形のロゴ(→)を採用している。このロゴについて、ドメーヌは以下のように説明している。「滑らかな月を思い起こさせるような、そしてドメーヌが位置する丘陵の斜面を思い起こさせるようなこのロゴは、ワインの将来性を約束する道標のようなものである」、と。2013年にリニューアルされたこのロゴは、ドメーヌのトレードマークだ。
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◆現当主ブレーズ・デュブー◆
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現当主ブレーズ・デュブー(←写真、左)は、ヴォー州のコミューン ニヨンNyonにあるシャンジャンChanginsの学校でワイン醸造学について学ぶ傍ら、18歳の時から父親のヴァンサン・デュブーVincent Dubouxと共にドメーヌで働き始め、2010年にドメーヌを受け継いだ。それまでドメーヌは「ヴァンサン・デュブー&フィス - 私のブドウ畑のワインVincent Duboux & Fils, Le vin de mes vignes」という名で知られていた。
ブレーズ・デュブーにとって最も重要だったのは、スイス国内でブドウ栽培とワイン醸造におけるコンサルタントとして活動することであり、それは今も同じである。2000年代初頭からコンサルタントとして活動しているが、これまでのクライアントは900人以上にも及ぶという。(その中には現在、日本への輸出を考えている生産者もいるようだ。)コンサルティング業を通し、農薬や化学肥料などの人工化合物を使わず、自然環境の中だけでサイクルが成り立つような、持続可能な自然農法を確立しようと努めてきた。ブレーズ・デュブーは、ラヴォー地区の切り立ったブドウ畑で、認定を受けずにビオディナミ農法を実践する珍しいブドウ栽培者の1人である。また、ドメーヌは、スイスのオーガニック認証機関であるBio-InspectaによりBIO認定(写真→)を受けている。
しかし、ブレーズ・デュブーの活躍はコンサルタントや生産者としての活躍におさまらない。ブレーズ・デュブーは現在、「ラヴォー地区のブドウ畑とワイン生産者の会Communaute de la vigne et du vin de Lavaux」の会長を務め、同時に、2007年にラヴォー地区のブドウ段々畑がユネスコの世界遺産に登録された際に組織された「ラヴォー世界遺産協会Association Lavaux Patrimoine mondiale」の副会長にも任命されている。また、「ラヴォーのプラン・ロベール保護協会Association de defense et d'illustration du Plant Robert」の創設に貢献し、今では会長を務めるなど、地域の振興や発展、ラヴォー地区固有の品種の保護に努めている。ブレーズ・デュブー以上に、ラヴォー地区と、ラヴォー地区で生産されるワインに詳しい人物はいないとさえいえるだろう。
ブレーズ・デュブーをラヴォー地区の代表として挙げられる例として、「ワイン生産者の祭り」と映画『コロンバイン』(2021年5月時点で公開日は未定)がある。
ブレーズ・デュブーは、2019年夏にラヴォー地区の中心地にあたるヴヴェイで開催された祭典である「ワイン生産者の祭りFete des vignerons」のオーガナイザーの1人だ。この祭典が初めて開催されたのは1797年で、以降、「1世代に1度(約100年に5回)」のペースで開催されている。祭典の度にその規模は大きくなり、2019年の祭りには100万人が訪れたとも言われ、その数はブラジルのリオのカーニバルを訪れる人数に匹敵する。祭りの出演者は5,500人、スタッフは10,000人、そしてその予算は1億フラン(約120億円)にも及ぶ。この祭りは2016年、ユネスコの無形文化遺産に登録されている。
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ワイン生産者の祭りの期間中、会場で『コロンビーヌColombine』という映画の撮影が行われたのだが、その際、魔法のような素晴らしい空間を用意し、5,000人にも及ぶエキストラの指揮を執ったのも、祭りのオーガナイザーの1人であるブレーズ・デュブーだ。映画撮影に臨んだスタッフ陣は、「ブレーズ・デュブー以上に、ラヴォー地区を代表する人物、そして魔法のような映画の舞台を提供してくれる人物はいない」と、口をそろえて言っている。
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映画『コロンビーヌ』についての詳細は
→ https://www.dreampixies.ch/film/colombine/(フランス語のみ)
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◆レマン湖とその周辺地区の魅力◆
ラヴォー地区のブドウ畑がユネスコの世界遺産に登録されたのは2007年だが、それ以前にも、レマン湖とその周辺地区は多くの著名人を魅了してきた。
イギリス出身の映画俳優・監督であるチャーリー・チャップリン(1889-1977、写真→)は、ドメーヌ・ブレーズ・デュブーからわずか10kmのヴヴェイ郊外コルシエにて晩年の25年間を家族と共に過ごした。チャップリンは、スイスを、とりわけラヴォー地区を、そしてデザレーのワインを愛していたのだ。ヴヴェイにはチャップリンの銅像が建てられていて、チャップリンが晩年を過ごした家は現在、チャップリンを紹介するミュージアムとなっている。
ハリウッドの大女優オードリー・ヘップバーン(1929-1993、←写真)もまた、ドメーヌ・ブレーズ・デュブーからわずか24km西にあるレマン湖畔の小さな村トロシュナTolochenazを愛し、晩年の30年間を過ごした。
ラヴォー地区からレマン湖沿い、東南東の方向に約20kmもいけば、ヨーロッパ有数のリゾート地として名高いモントルーという街がある。モントルーと言えば、音楽プロデューサーであった故クロード・ノブスの呼びかけで1967年に始まったモントルー・ジャズ・フェスティバルが最も有名だろう。開催以来、数々の著名アーティストが招聘されていて、アメリカのジャズトランペット奏者として有名なマイルス・デイヴィス(1926-1991、写真→)もその1人。マイルス・デイヴィスが初めてフェスティバルに参加したのは1973年で、以来、フェスティバルを盛り上げてきた。そうしたおかげでフェスティバルは今では世界最大級の音楽イベントであり、フェスティバルの会場は、マイルス・デイヴィスに敬意を表し、マイルス・デイヴィス・ホールと命名されている。
モントルーと言えばもう1人。2018年に公開された映画『ボヘミアン・ラプソディ』で有名な、伝説のロックバンドQueen。そのボーカルであるフレディ・マーキュリー(1946-1991、←写真)もまた、HIVを患い、45歳で亡くなるまでの晩年の十数年間をレマン湖畔のモントルーで過ごしている。「心の平安が欲しければ、モントルーに来ると良い(If you want peace of mind, come to Montreux)」という言葉まで残しているフレディ・マーキュリーは、モントルーにスタジオを購入し、6つのアルバムを制作。彼の死後、1996年には、湖畔に銅像も建てられ、今でも世界中からフレディ・マーキュリーのファンが花束を添えにくるという。
レマン湖とその周辺地区は多くの人々を魅了し続けているが、それは何も外国人だけではない。日本の昭和天皇(1926-1989、写真→)もまた、ラヴォー地区に魅了された1人で、1971年にラヴォー地区を訪問されている。同年秋、10月、昭和天皇皇后両陛下はヨーロッパを外遊。スイスのジュネーブを訪れた際、ジュネーブ湖岸にあるラヴォー地区のブドウ段々畑を見たいと強く希望され、最高級の白ワインを試飲。ラヴォー地区の美しい自然と、その自然が造り出す美味しいワインに酔いしれたという。
(*上記の写真は4枚ともウィキペディアより抜粋)
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◆テラス状に広がるブドウ段々畑とデザレー・グラン・クリュ◆
スイスのレマン湖北岸ラヴォー地区のコミューンであるピュイドゥーに位置するテラス状のブドウ段々畑。「テラス(terrasse)」とは、岩壁などにある狭い棚状になった段丘を指す言葉だ。ラヴォー地区のブドウ段々畑は40段にも及び、約10,000ある段丘の岩壁の総延長はなんと400kmを超える。こうした特殊な環境のおかげで、ラヴォー産のブドウは3つの太陽の恩恵を受けると言われている。1つ目は空に輝く太陽、2つ目はブドウ畑を覆う岩壁にこもった太陽(の熱)、そして3つ目はレマン湖が反射する太陽の光である。「ラヴォー地区のブドウの王様」という代名詞を持つシャスラは、太陽の恩恵をたっぷりと受け、フルーティでドライなアロマが豊富なワインを産み出す。
「デザレー・グラン・クリュ」は、壮大な面積を誇るブドウ段々畑の中央に位置する。
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レマン湖のすぐ目の前とはいえ、ブドウ畑の勾配は45度、海抜は450mにもなるブドウ畑だ。ドメーヌ・ブレーズ・デュブーはデザレー・グラン・クリュに1.5ヘクタールの畑を所有(ドメーヌが所有する畑の総面積は5ヘクタール)。植樹されているブドウの品種はシャスラのみ。
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◆シャスラ◆
澄み切った繊細な味わいを特徴とするシャスラは「ラヴォー地区のブドウの王様」と呼ばれ、スイスを象徴する品種だ。2009年にスイス人のブドウ栽培研究者であるジョゼ・ヴーイヤモJose Vouillamozによって行われたシャスラの歴史と起源に関する研究によると、シャスラの起源はレマン湖盆地だといわれている。
スイスには、「シャスラの第一人者(pape du chasselas)」や「シャスラの使者(ambassadeur du chasselas)」など、輝かしい異名を持つソムリエがいる。それが、ゴー・ミヨが2015年スイスで最も優れたソムリエとして選んだ、コートジボワール出身のジェローム・アケ・ベダJerome Ake Beda(写真→、本人のインスタグラムより抜粋)だ。ジェローム・アケ・ベダは言う。シャスラから造られたワインは、「まるで猫のようにとてもシンプルで、同時にとても繊細です。スイス人のようだとも言えるでしょう。熟成が始まると骨格が引き締まり、恐ろしいほど凄まじいワインになります。熟成ギリギリの段階では最良の品種となり、飲むものはみなやられてしまいます。」ジェローム・アケ・ベダによると、シャスラは熟成するとリースリング、シャルドネ、マルサネのようでもあり、そのため彼はシャスラを「カメレオン」と呼ぶ。「南アフリカで最も優れたテロワールを持つ丘にシャスラを植えても、デザレーを造ることは決してできないでしょう。世界のテロワールは決まっており、土壌を変えることはできません。」
そんなジェローム・アケ・ベダがお薦めするのが、ブレーズ・デュブーのオ・ド・ピエールだ。2014年6月に発売された『死ぬ前に飲みたい99のシャスラ』(→)でオ・ド・ピエールを挙げている。また、2018年12月9日のゴー・ミヨのネット記事でも、オ・ド・ピエールを「一目惚れ(ク・ド・クール)する5つのシャスラ」の1つに挙げている。
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◆各キュヴェの詳細◆
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Dezaley Grand Cru AOC, Haut de Pierre, Vieilles vignes/デザレー・グラン・クリュ オ・ド・ピエール ヴィエイユ・ヴィーニュ 白
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