by ドメニコ・パセッティ
パセッティ(Societa Agricola Pasetti di Domenico Pasetti)は、全長800kmにも及ぶアドリア海の海岸線の中ほど、フランカヴィッラ・アル・マーレ Francavilla al mare に本拠を置く。
ワイナリーは1860年代後半に現オーナーであるミンモ Mimmo ことドメニコ・パセッティ Domenico Pasetti の曽祖父シルヴェストロ Silvestro が地元の有力者から土地を購入し、ブドウの栽培を始めたことに端を発する。フィロキセラ禍に果敢に挑んだシルヴェストロの息子ロッコ Rocco を経て、1960年代にロッコの長男フランコ Franco が、ぺスカーラで居酒屋を営む義父の勧めに従い、ワインの醸造に踏み切った。そして、醸造学を修めたフランコの息子ミンモが娘のフランスチェスカ Francesca 誕生を機に、モンテプルチアーノ・ダブルッツォを瓶詰めすることをフランコに提案。フランチェスカはフランコの母ラケーレ Rachele 同様赤毛であったことから、フランコは一族の過去と未来の象徴であるラケーレとフランチェスカを称え、パセッティの代表的なブランドで、「赤毛」を指すテスタロッサ・シリーズをリリースした。
90年代にはグラン・サッソ・エ・モンティ・デッラ・ラガ国立公園 Gran Sasso et Monti della Laga に含まれるペスコザンソネスコ Pescosansonesco の麓にある樹齢45年のブドウ樹が植わる畑を見事に復活させ、2000年にパセッティのトップ・ワインであるアリマン Harimann が誕生した。
現在、ミンモと妻のラウラ Laura、そしてフランチェスカ(オフィス・マネージャー)、マッシモ Massimo(輸出マネージャー)、そしてダヴィデ Davide(醸造学者)の3人の子供たちがワイナリーの運営に携わっている。
エノロゴを務めるのはアブルッツォ・ワインを国際的なレベルにまで引き上げ、その名を広めたロメオ・タラボレッリ Romeo Taraborrelli。マシャレッリ、トッレ・サンブラ、チトラ、マッラミエーロをはじめアブルッツォ州内25のワイナリーのコンサルタント・エノロゴを務めてきた。1992年にはカヴァリエーレ・デッラ・レップブリカ(イタリアの事業家に叙勲される賞)、2002年にはカングランデ賞(醸造家勲功)を受賞するなど、イタリア最高のエノロゴとして活躍。
以下、Vinous ヴィノスによるパセッティの紹介:
オーナーはドメニコ・パセッティ。妻のラウラ、そしてマッシモ、ダヴィデ、フランチェスカの3人の子どもたちのサポートを受け、パセッティを率いる。巧みな樽熟成によるワインは飲みやすく、アブルッツォ・ワインのサクセス・ストーリーを象徴するかのようにイタリアで絶大な人気を誇る。セラーは海沿いのフランカヴィッラにあるが、畑はアブルッツォ内陸のアペニン山脈にあるペスコザンソネスコとカペストラーノの2つの異なる区画にある。パセッティもまた、1975年にアブルッツォで初めてワインの瓶詰めを行ったルイジ・カタルディ=マドンナのペコリーノに触発され、バラエティに富み、優れたワインを手がけるようになったアブルッツォの造り手の1人。