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2011年春にマリオネが初リリースした“ピュセル・ド・ロモランタン”。この発売に合わせ、“プロヴィニャージュ”との比較試飲会が、2011年3月17日に60人以上のジャーナリストを招き、パリの歴史的カフェ“ラ・クーポール”で行われました。熟成させた古酒の“プロヴィニャージュ”も振舞われたこの試飲会は大盛況のうちに終了しましたが、その後、アンリ・マリオネの“ピュセル・ド・ロモランタン”と“プロヴィニャージュ”に関する記事が、フランスのクオリティ・ペーパー『ル・モンド』に大々的に掲載されました。記事のなかでは、DRCのオベール・ド・ヴィレーヌのコメントも引用され、改めてマリオネの所有するプレ・フィロキセラのブドウ畑の偉大さが語られています。
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末娘、ラ・ピュセル・ド・ロモランタンの誕生以来、マリオネは幸福なヴィニュロンである。ブドウ樹の管理は大変長く、これほど溌剌とした娘を産む母となるかどうか可能性を確かめる必要がありました。それは10年以上の歳月をかけて行われました。1998年、隣人のヴィニュロンが、当時既にパイオニアとして(二酸化硫黄無添加ワイン、ロワールのプリムールワイン、接木しないブドウ樹などで)知られていたアンリ・マリオネに4ヘクタールの区画の購入を提案したのです。マリオネは、なんと奇跡的に、その区画の中心に0.36ヘクタールの1850年頃に植樹*された節くれだち、ねじれたブドウ樹を発見したのです。それは、ロモランタンという現在では非常に稀少な品種でした。
*その後の、より専門的な調査により、ロモランタンは1820年から1840年頃に植樹されたと判明。樹齢は200年超。
アンリ・マリオネがONIVINS(フランスワイン全職業事務局)に通報すると、ブドウ品種学の最高の専門家であるドゥニ・ブバル氏がこの歴史的ブドウ樹の下に駆けつけたのです。研究所での検査による診断は「ブドウ樹は一度も接木されたことがなく、ラングドックの砂地の畑を除くフランスのすべてのブドウ畑を絶滅させた1864年のフィロキセラ禍を免れた。」というものでした。つまり、表土に軽く珪素が混じるソローニュ地方の粘土石灰質の土壌は特異な例外であったのです。
マリオネはこの区画に情熱を注ぎ、フィロキセラが蔓延する前まで、傷んだ根を取り替えるために使われていた方法を参照に命名したプロヴィニャージュというミニ・キュヴェを造り上げたのです。
激動の時代を生きたブドウ樹の生産量は少なく、1ヘクタール当り20ヘクトリットルしかありませんでした。しかし、その樹齢に鑑みれば、ロモランタン品種自身が貢献した偉業と呼べるものでした。この品種はブルゴーニュからもたれされた品種で、1519年、フランソワ1世によって、当時、ヴァロワのコート・ダジュールと呼ばれていたロワール地方にもたらされたものでした。同じ品種から造られるクール・シュヴェルニーのワインとは異なり、プロヴィニャージュは接木されていないため、洋梨やマルメロ、白い花や蜂蜜、あるいはハシバミなどのアロマとともに並外れた豊満さとミネラル感が備わっています。プロヴィニャージュが我々の遺産の一つであることは、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティの共同所有者であるオベール・ド・ヴィレーヌのコメントによって証明されています。ヴィレーヌ氏は「もはや運命付けられたテロワールは存在しないが、私達、文明の執着があるのだ」と述べています。
2007年、アンリ・アリオネは息子のセバスティャンとともにプレフィロキセラの区画の端にある未開拓の小区画の存在に気づきました。すると彼は、接木していない古木のロモランタンの枝から取り木をして、新しいキュヴェを造る挑戦に取り組んだのです。この若いブドウ樹は3年目に実をつけ、2010年9月に最初の収穫が行われ、ラ・ピュセル・ド・ロモランタンと美しく命名されたキュヴェが瓶詰めされたのです。アンリ・マリオネは喜びながらこう語りました。「全く同じ条件で育った樹齢160年のブドウ樹のワインと樹齢4年のブドウ樹のワインを初めて比較試飲することができるのです。」
試飲において、ラ・ピュセルは、エレガントさにおいても複雑さにおいても輝かしい祖先になんら劣るところはありませんでした。
ル・モンド 2011年5月14日土曜日
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